2020年11月22日
ヨハネによる福音書7:37-43
林 健二 牧師
ヨハネによる福音書7:37-43
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。
このことばを聞いて、群衆の中には、「この方は、確かにあの預言者だ」と言う人たちがいた。
別の人たちは「この方はキリストだ」と言った。しかし、このように言う人たちもいた。「キリストはガリラヤから出るだろうか。
キリストはダビデの子孫から、ダビデがいた村、ベツレヘムから出ると、聖書は言っているではないか。」
こうして、イエスのことで群衆の間に分裂が生じた。
1、背景:祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた
・いつ?
37節の「祭りの終わりの大いなる日に」
・「イエスは立ち上がり、大きな声で言われた」とはどういう意味でしょうか?
(参考:ヨハネ7:10との比較)
大々的に、みんなの前で言った。(10節では内密に行っていたのと対照的である)
2、だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい
・「渇いている」とは?どういう状態でしょうか?
水分が足りない状態。満たされていない状態。死に向かっている状態。
・「わたしのもとに来て」とありますが、どういう意味でしょうか?
羊が食物や水、安らぎを求めて羊飼いの元に寄り添っていくようにキリストのもとへ寄り添っていく。(マリアとマルタの話の中で、マリヤがイエスのもとで話を熱心に聞いているような状態)
・「飲みなさい」とは、どういう意味でしょうか?
取り込む、吸収する。体、または自分の人生の一部にする。
3、わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります
・「わたしを信じる者」とはどういう者でしょうか?自分の言葉で説明してみましょう。
イエスを自分の救い主、自分を愛してくれている神様だと信じること。イエスが言っていることを信頼して真実と受け取る者。
・その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる
イエス様はこれまでも同じような話をしてきました。(ヨハネ4:13-14、ヨハネ6:35)テーマは何でしょうか?
永遠の命、御霊、神様の臨在(共にいること)。
・「生ける水が出るようになる」のではなく「生ける水の川が流れ出るようになる」とはどういうことでしょうか?水と川はどう異なるのでしょう?
水は静止している状態で使うとなくなるが、川は流動的でどれだけ使っても水が次々くるのでなくならない。同じように、神様が与えてくれる御霊による新しい命は終わりがなく次々と生きる力が流れ出る。尽きることがない。
・「聖書が言っているとおり」とはどういうことでしょうか?聖書が教える川の特徴は何でしょうか?(イザヤ35:5-6、エゼキエル47:9-10、アモス5:24、詩篇78:13-16など)
病気が癒される、弱ったものに力が与えられる(イザヤ)
生物が生きる。命が栄え、潤いがある。(エゼキエル)
公正があり、義が執行される。(アモス)
硬い険しい岩をも砕く力強さで恵が与えられた。(詩篇)
・39節を読むとそれはイエスを信じる者が受ける御霊の特長です。御霊にはどういう力があるのでしょうか?
御霊は私たちに癒しと生きる力を与え、そこに永遠の命があり、大きな恵みが与えられると同時にそれは真実で公平である。
・今日の話をまとめると、御霊によってイエスを信じる人はどんな生き方が出来るのでしょうか?
イエスを信じる人には、死を恐れることもなく、病に負けることもない、心には潤いと恵があり、真理と力がある。そしてその人の周りも、川によってくる動物や植物のように、御霊の潤いと癒しが与えられる。
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